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親が嫌い、許せない時はどうするべきか

親子の関係って複雑なものだと思います。大人になって自分なりの考え方が備わってくると、親と衝突することもあるかも知れません。

自分と兄弟とを比べられたり、差別されていると感じたり、または普通親であればやってくれるようなことをしてくれなかったり。

そんな時は悲しいという気持ちとそんな親は許せない、嫌いだという気持ちもわき上がってくることがあります。そんな私も以前はそうでした。親が許せなかったのです。でも今はその気持ちはありません。むしろ、感謝の気持ちがある位です。

しかし、そう思えるまでには多くの葛藤がありました。

ここでは私がどのようにして親を許し、そして感謝できるまでになったかを書いてみたいと思います。

私は親が好きでした

そんな私ですが、他の子供と同じように親のことが好きでした。
親に認めてもらいたいと思っていたし、褒められるとやる気になったものです。

しかし、親の仕事を手伝いはじめたあたりから関係が変わってゆきました。父には「お前とは合わない」といわれ、母や父は口をそろえて、海外の大学に進学し、現地で仕事をしていた私にむかって、「遊んでいたのではないか?」と言ってきたのです。

私の仕事の仕方も最初はとても評価してもらいました。留学していたことから、日本人にはない感覚を生かしてやって欲しい、仕事が速いといったことを言ってもらい私もやる気になっていたのです。

しかし、それも少しすると批判へと変わってきました。
営業に出ないとか、余計なことを言うとか、そういったことです。

今のように考えることができなかった私は、そういったことの積み重ねにイライラしていましたし、とても残念でなりませんでした。自分の力はこんなものか、と。

それよりも親に批判されることで全てを否定された気持ちになり、気分も暗く仕事などやる気になれませんでした。

そんな時、父から外で働いたらどうだ、という一言がありました。事実上の首です。

結婚を控えていた私は職を失った

父から首だと言われた私は当時婚約していて、結婚の予定も決まっていました。
つまり、結婚と同時に職を失ったのです。

それが私の怒りにさらに火を注ぎました。何故自分がこんな目に、という気持ち。
それよりも妻に対して申し訳ない気持ちで一杯でした。

悔しさで涙が流れて前が見えない時もありました。

その時は親を絶対に許すことはできないと強く思っていました。それから何ヶ月も仕事は見つかりませんでした。もう駄目だ。そう思いました。貯金がもう底をついていたからです。

そんな時ある会社の社長さんに拾っていただくことができました。
ありがたいことです。

その仕事をしても、親への気持ちは変わりませんでした。
見返してやろう、という気持ちがありました。

その会社で数年働いた私は自分で仕事を立ち上げることになりました。
昔からの夢だった独立することになったのです。

独立してからは親を見返してやろうという気持ちと怒りの気持ちで、365日、仕事をしていたのです。

私が変わったきっかけは・・・

そんな私を変えてくれたきっかけは妻でした。
彼女は私の両親を悪く言うことは一切ありませんでした。

そして、「他人を変えることはできない。自分が変わるしかない。」と言ってくれました。
彼女は「自分は生かされている」ということを大切にしている人でした。

その言葉に私は少しづつ自分を見直すようになっていきました。

親子喧嘩の末に

しかし、すぐに変われたわけではありません。ある日、祖母のはからいで両親と私達夫婦で食事を一緒にすることになりました。

久しぶりに会いましたが、ちょっとしたことがきっかけで父親と口論になりました。母は間に入るどころか、父の味方をする発言を繰り返す始末。

大きな声を出して言い争いをした結果、私が感じたのは、相手はやはり変えられないのだということでした。

私は、両親は私達にしたことを反省していて、悪かったと言ってきてくれることをどこかで期待していたのだと思います。

ですが、両親は反省するどころか、何も変わっていなかったし、自分達は正しいという立場を貫いていました。

人は変えられない、私に残された選択肢は親と絶縁するか、親を許すかのどちらかでした。

本当は両親のことが好きだったのでしょう。私は親を憎むのをやめようと思うようになりました。私は幼かったのです。親にばかり求めて、自分は何1つ変わろうとしなかったのですから。

そして私は少しづつ変わってゆきました。

親だって1人の人間

私は親なんだから○○○という考え方をよくしていました。
親だから、○○して当たり前という考え方です。

例えば、兄弟を比較する親もいますが、そんなことを親であればしてはいけないこと、親として恥ずかしいことと思っていました。確かにそれはそうなのですが、親も親であるまえに1人の人間であることに気づきました。

親は完璧なんかではありません。同じ人間なのです。
だから、未熟な部分だってあるでしょう。
勿論、子供はもっと未熟なのかも知れませんが。

ただ、両親は完璧だとうい気持ちがなくなってからはもっとやさしい目で相手を見れるようになったように思います。

また、そういう親のもとで育ったから、そういう親を持ったからこそ学べることも多いように思います。

許せない理由は何か

親のことを許せない、そう思ってしまう理由は考えてみるといくつかあることに気づきます。

子供というのは親に褒めてもらいたいと思うものです。
そのために生きていると言っても良いくらい親には褒めてもらいたいのです。

これを大人になると今度は褒めてもらいたいという気持ちが「認めてもらいたい」という気持ちへと変化しますが、根本的には同じことです。

そして、子供は親から愛されたいと思っているものです。大人になってもそうです。親なんだからこれくらいして欲しいと思うのは愛されたいと思っているからです。

しかし、「褒められたい」「認められたい」「愛されたい」という自分の中にある気持ちが叶わないとなった時に、親のことを許せないとなるのだと思います。

私がそうでした。私を、私の過去を否定した親、自分の仕事を批判した親、結婚する息子を無職に追い込んだ親という気持ちで(当時は)いたのですから、親が許せなかったのです。

しかし、それは子供のような幼稚な気持ちでした。親に甘えていたのです。認めて欲しい、評価して欲しい、愛して欲しいという気持ちの裏返しに過ぎなかったのです。

自分を許す

最初は相手を許すことは考えることはできないかも知れません。
そんな時はまず自分を許してあげることだと思います。

相手のことを許すのは大変ですが、自分なら許せるはずです。
自分が許せると不思議と相手も許せるようになります。

「あの時悔しかったんだよね。大丈夫。それはそう思って当たり前だよ。大丈夫だよ。」

そうやって自分自身を許してあげてください。

すると気づくと相手も許せるようになっていますから。

感謝

私がそんな自分の甘い気持ちに気づいたきっかけはもう1つあります。
それは親が自分にしてくれたことを思い出そうとしたことです。

私を育てるために親は一生懸命働いてくれていました。
大学時代は仕送りもしてくれました。
大変な思いをしていたはずです。

でも子供だった私はそれを本当の意味で理解していなかった。

また、今こうして自分が生きていられるのは親が産んでくれたからです。
今私は妻と一緒に居られて幸せです。
そういう幸せを感じられるのも親がいたからです。

親には何も感謝できることがないと思っても、産んでくれたことに感謝することはできるのかも知れません。

してくれなかったことを数えると気持ちは暗くなりますが、親がしてくれたことを思い出し、それに感謝してみると感じ方は変わってゆくようです。

親の愛情

親の愛情というのは100%受け取りたいと子供なら思うでしょう。でも親も1人の人間でしかありません。自分と同じ人間。色々悩んで苦しんで、楽しみを見つけたり、くじけたり、泣いたり、幸せを感じたり、同じ人間なんですね。

だから、完璧なんかではない。

だから、自分にくれる愛情というのも色々な形があります。100%の愛情もあるでしょう。でもそれがたった数パーセントの場合だってあると思うのです。

でもそれも立派な愛情なのかも知れません。産んでくれたこと、育ててくれたこと、それも立派な愛情の証なのかも知れません。

それは自分が望んだ形ではなくとも、もしかしたら、愛情はそこにあったのかも知れません。

親離れ

最後になりました。

親に認めてもらいたい、褒められたいという気持ちは子供であれば、誰でもあるものだと思うのです。

でも人は成長しなくてはいけません。

いつか、自分のことは自分で評価する大人にならなくてはいけない。
親の評価に依存していては前に進めません。

ですから、私はまず親に依存することをやめるべきだと考えました。

親に認められたい、評価されたいと思ってきました。そのために親にアピールしていたように思います。でもそれで親が認めてくれるかどうかはわかりません。認めてくれないことだって多くあります。

でも親に認めてもらうことが目的になっては、自分らしい生き方ができません。自分を成長させることもできません。親が良しとする道だけを歩いてゆくのが人生ではなくて。

だから、本当の意味での親離れが必要なのだと思ったのです。

勿論、親に感謝できた私は親を大切にしたいと思います。
親孝行もしたいし、恩返しも必要だと思います。

しかし、それは親に依存することではありません。

親離れ、それは私に必要なことだったのかも知れません。

今、私は晴れ晴れとした気持ちでいます。

親に感謝できる自分が嬉しい。そして、親の評価ではなく、自分がよいと思った道に進もうとする自分を誇りに思っています。

自分自身を誇りに思うなんてちょっと大袈裟かも知れませんが、親のことが許せなくて、憎んでいた頃、自分のことが嫌いでした。

今の自分はちょっと好きかも、知れません。