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人生を楽しめないのはこんな思い込みが原因だった

人生を楽しめない。

なんて辛いことでしょうか。でもそうやって悩んでいらっしゃる方もいると思います。私自身、人生そのものを楽しめなかった時期がありました。その時は、長い間、暗く先が全くみえないトンネルの中にいるようでした。

抜け出せるとも思えなかったので、ただ、後ろばかり、過去のことばかり思い出してはその日を何とか切り抜ける、そんな毎日が何年も続いたのです。

今、そこから抜け出して10年以上が経ちました。その間に私がやったことをここに書いてみたいと思います。

物事に意味を求めると楽しくなくなる

完璧主義の人ほど、物事を楽しめなくなってしまうのかも知れません。

例えば、何かをはじめたとします。最初は楽しいのです。上達したり、色々なことがわかったり、できるようになってきて楽しい。

でも、そのうち、何かこれを形にしたいと思い始めます。例えば、他人と比較しはじめて、人に勝とうとしたり。

すると途端にそれは楽しくなくなります。

人生も何かを成し遂げなければならないとか、生きることに意味を求めた途端に、自分が何もできていないような気がして、自分には価値がないように感じてしまって、楽しめなくなってしまうのかも知れません。

義務を捨てると夢中になれる

物事を楽しめている時、人生が楽しくて仕方がない時、人は夢中になるものだと思うのです。

ところが、何かをしなければならないと思った途端、つまり、何か義務のようなものを感じてしまった時、夢中ではいられなくなったりする。

楽しくて始めたことなのに、途中から自分に義務を与えてしまうことがあります。どうせやるなら、ここまでは行きたい。だから、今は、これをやるべきだ、それも1つの義務だと思うのです。

私はそんなことをよくしていました。

本当は、やらなければならないから、やるのではなくて、やりたいからやっているはずだったのに、いつのまにかそれが自分の中で義務のようになっていたのです。

そんな義務のようなもの、自分を縛り付けていた考え方を捨ててしまった時、私は物事にもう一度夢中になれました。夢中が人生を楽しくしてくれるのかも知れません。

好きだから、走る

例えば、走ることに例えると、最初、子供の頃は好きだから走っていた、楽しいから走っていたはずなのです。

ところが、大人になって、人よりも速く走ろうとすると、走ることが楽しめなくなることがあります。

どこどこの大会で何位までに入ると決めて努力すればするほどに、それが達成できなかった時にモチベーションが根こそぎなくなってしまうことがあります。

本当は好きだから走っていたはずなのに、楽しいから走っていたはずなのに。

いつの間にか、走ることに意味を求めていた。

私はそんなことをしていたのかも知れません。そうやって、楽しいものが1つ1つ消えていって、人生さえも楽しめないと思うようになっていったように思うのです。

楽しいから走るでいいんだ。好きだから走るでいいんだ。
私はやっとそう思うことができて、今、人生が楽しいと思えています。