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正義感を捨てる、正しい、正しくないで判断しないと生きるのが楽になる

正義感というのは時々、憎しみに変わる時があります。相手を正しいか正しくないかで判断しようとすると、相手が間違っていると思った時に相手に変わることを望んでしまいます。

それはまさに悪魔のささやきなのだと思うのです。自分が正しいのだから、あなたは変わるべきだ。あなたも自分と同じようにするべきだ、と自分の考え方や価値観を相手に押し付けてしまう。

でも、人は誰かに無理矢理変えられようとするのが大嫌いです。だから、必死で抵抗します。そうやって相手との関係は崩れてゆくこともあります。

何が正しくて何が正しくないかはその人によって違う

物事を正しいか正しくないかで判断しようとすると、相手が憎く思えてくることがあります。それは自分が正しくて、相手が間違っていると思うからです。

でも、正しいことであったり、常識というものは、人によって違ってくるものだと思うのです。例えば、アメリカで育った人は年上の人であっても、下の名前で呼びます。呼び捨てです。

でも、日本で育った人は、年上の人に対して下の名前で呼び捨てにするなんてことは何か事情がなければまずありえません。

この場合どちらが正しいかなんて言えないわけですね。どちらも正しいというか。

わかりやすく日本とアメリカの人で比較してみましたが、実は同じ日本人であっても同じことが言えると思うのです。

自分が正しいと思っていたこと、常識だと思っていたことでも、それが相手にとっては常識ではないことはよくあると思います。

でも、正しいことは1つ、常識は1つだと思っていると、それに気づきません。だから、相手にイライラしたり、怒りをおぼえたりする。

正しい正しくないで判断するのをやめると楽になれる

人を正しいとか正しくないで判断するのをやめると、人間関係がぐっと楽になります。生きるのもホントに楽になります。

人を正しいとか正しくないで判断するのをやめると、人とぶつかることがなくなってゆきます。

人と争わずに済むと、生きることが不思議な位、楽に思えてくることがあります。

人間関係の悩みを解決する方法の1つは、「正しさ」というものを少し手放してしまうことなのかも知れません。

自分の中から「正しさ」が少なくなればなるだけ、人にイライラしたり、人に悩まされたりする機会が減ってゆきます。

自分とは価値観や常識が違う人がいたら?

自分とは価値観であったり、考え方が違う人っているものです。

そんな時、その人が正しいか、正しくないかと判断することをやめてしまって、相手の価値観や考え方をそのまま、受け止める方が楽なのかも知れません。

「あぁ、そういう考え方なんだ」と。

それを無理に受け入れる必要もないし、逆に間違っていると指摘する必要もないと思うのです。ただ、「この人はそういう考え方を持った人なんだ」と考えてみます。

「でも、どうしてもその人を受け入れることができないんです。」

という方もいらっしゃると思います。その時は「受け入れなければいい」と思うのです。人格者になって、この人を受け入れられる自分になろう、そういう風に考えていた頃も私にはありました。

でも、その必要はないと思ったんです。でも同時に相手を責めたり、間違っていると思う必要もないと思うようになりました。

相手には相手の考え方であったり、その人なりの常識というものがある。それを自分も受け入れる必要はないけど、相手を受け入れる必要もない。

つまり簡単に言うと諦めた方が楽ということだと思うのです。

相手とのその違いを何とかしようと思うのは、相手を自分の思い通りにしようとしていることかも知れません。

違いを受け入れられる範囲というのも人にはあると思うのです。これは無理と思ったら、そこで相手を何とかしようと思ったり、相手が間違っているなんて指摘するよりも、相手を諦めてしまった方がずっと楽だと思うのです。

正義感を持っている時というのは、自分が正しくて相手が間違っていると思っている時であり、それは同時に相手を自分の思い通りにしたいと感じている時なのかも知れません。

そんな自分にもし疲れてしまった時は、その持っている正義感を少し手放して、相手を「諦めて」みることで自分が楽になれると思いますし、生きることも楽になってゆくと思います。